<無形民俗文化財公開情報>

<名   称>十五夜さん大綱引き(じゅうごやさんおおつなひき

<種   別>久留米市指定無形民俗文化財

<公 開 日>毎年、旧暦8月15日(雨天順延なし、雨天決行)

<公開場所>伊勢天照御祖神社(通称:大石神社)(福岡県久留米市大石町)の境内及び周辺地区

<時   間>17:10~ 神事、開会式

18:00~ 小綱地区周り(七地区)

19:10~ 大綱地区周り

19:20~ 小綱担ぎ、小綱引き

19:40~ 大石抱え(子供)

20:20~ 大石抱え(大人)

20:40~ 大綱引き、閉会式

<駐 車 場>神社の駐車場は6台程度。臨時駐車場はない。

 <ト イ レ>神社にある

<問合せ先>久留米市文化観光部文化財保護課  TEL0942-30-9225
 
(注意)公開場所や日時は保存会の都合で変更になる場合があります 
   
<NIA取材記>


 「十五夜さん大綱引き」は、2010年8月29日に綱作りの様子、

9月22日の本番撮影を行う以外にも地域の撮影を数回行った。

本年7月に久留米市指定無形民俗文化財になった事もあって、

満月会をはじめ、白山町や大石町の住民の意気込みはすごか った。

本番当日は、午後2時ごろ激しい大雨が降りだし最悪の事態を覚悟したが1時間ほどで止み、

その後は曇り空ではあったが、行事の最後まで雨は降らなかったのは幸いであった。

雲の合間から見え隠れする満月をかろうじて撮影出来た。

旧暦の8月15日の満月の下で、このような綱引きをするという行事があることは知っていたが、

地元久留米市に存在することは、久 留米市の文化財保護課の撮影依頼がなかったら

知らなかったであろう。撮影は綱作りの準備段階から行った。

本番では、地域の人々が綱引きを楽しむ様子をいかに撮るかに苦心した。

                   2010.10.16  池松卓成  記す
  
 <十五夜さん大綱引きの内容説明>

 この大綱引きは約400年より前から、五穀豊穣・無病息災を願って実施されてきた久留米市大石町の大石神社の秋祭りである。

以前、この大石町地域のほとんどが水田であった。近くには筑紫次郎(筑後川)が流れ、農耕はもちろん、漁をし水上運搬にも利用し てきた。

次郎の悠々たる流れは、雨季に大雨が降り続くと怒り狂ったように轟音をあげて氾濫し、人々の生活や命までも奪ってしまう。

洪水と洪水がもたらす疫病をいかに防ぐかが当時の人達の関心事であり願いでもあった。

自然の猛威には術がなく、人々は神仏にすがるより他は無かったのである。

すなわち、氾濫する筑後川を水の神「龍神」にたとえ、その龍神を大綱で表し、それを担いで地区を廻って結界を作り 厄払いをし、

さらに龍神が暴れないように大綱を引き合うことによって鎮め、

そして大綱を焼納することによって龍神をしめやかに天に 送り届けようとするするものである。

昭和12年ごろまでは2~3月前より農家を回り、余っている縄を集め、毎日その縄を編み上げ直しながら大綱を作ったという。

大綱を 作りあげる間、みんな和やかに家庭のことや地域で起きたことなど語り合い親睦の輪が広がった。

ところが昭和12年日中戦争が始まり、祭りごとは一切まかりならんという通達が出され中断することになった。

再興は昭和52年であった。大石北子ども会育成会の人達が、「子ども達のためにも郷土の伝統行事の火を消してはならない」と立 ち上がり、

大石町内の各子ども会育成会に呼びかけがなされ「十五夜さん大綱引き」が復活した。

復活後は、今までのように道路上ではなく伊勢天照御祖神社(通称:大石神社)の好意によって、神社境内で行われるようになった。

復活後の「十五夜さん大綱引き」 行事は、

大石町と白山町の7つの自治会(大石北、大石中央、大石東、大石西、大石千歳、西住、西白山)によって実施されている。

大綱は龍の形をしていて、頭が丸く輪(楕円形で長辺3m)になり、尻尾(4m)は二つに分かれている。

大きさは直径35cm、長さ35 m、重さは1000Kgほどある。これを総勢60名ほどで担ぐ。

小綱は復活後に作られるようになったもので、7つの自治会ごとに作られ、綱の大きさや長さはまちまちで、参加人数にあったものとなっている。

十五夜さんと言えば「すすき」と「ダンゴ」である。

五穀豊饒のシンボルである望月(まんげつ/満月)を拝む信仰は古くよりあり、

その月あかりには神霊が宿っているとさえ考えられ、とりわけ実りの秋には祝祭行事が全国的に催されていた。

これは平安時代に中国より渡来した観月の流れとは別に、農耕儀礼の意味が強かったと言われることは、

旧暦8月15日の十五夜を「芋名月」と呼び、後の名月である 旧暦9月13日の十三夜を「豆名月」 「栗名月」と呼んでいる事からも推察できる。

お月見の絵図といえば、ススキの飾りに団子の供物の図だが、ススキは稲穂で団子は里芋の代わりに飾られたものである。

里芋は米が伝来するまでの日本の主要穀物であった。これを捧げ満月に感謝し、豊作を祈願したものである。


ところで、「十五夜さん大綱引き」では里芋150kg、サツマ芋30Kgが煮炊きされ、塩味の串刺し芋が行事の参加者や観覧者に配ら れる。

午後6時ごろ、小綱がそれぞれの地区(七地区)を1時間ほど爆竹を鳴らしながらワッショイ、ワッショイの掛け声で周る。

7時過 ぎ、松明を先頭に高張り提灯をかざした大綱が60名ほどに担がれて、大太鼓の合図で境内を出発し大石町内を練り歩く。

その間、境内では子ども達による小綱どうしの綱引きが行われたり、大きな石を抱えて時間を競う「大石抱え」などが行われる。

午後 8時過ぎ大綱が神社に帰ってくると大人の「大石抱え」が行われる。

その頃になると、熱気がムンムンで祭りは最高潮になる。いよいよ 大綱引きだ。

大人、子ども総勢300名ほどが大綱につき東西に分かれて綱引きを行う。

続いて源平合戦にたとえた、源氏側(子ども) 平家側(大人)に分かれて大綱引きが行われる。

ワッショイ、わっしよい、ワッショイ、わっしよい。天空の満月が微笑む。

この子ども対大人の綱引きは「ゲンゴベの綱引き」というそうである。

ゲンゴベとは、源平合戦の意味と解せられていて、この戦いは必ず源氏、すなわち子どもが勝つことになっている。

大人の子どもに対する愛を感ずる行事でもある。

記述: 池松卓成