<無形民俗文化財公開情報>

<名   称> 高志狂言(たかしきょうげん)

<種   別> 佐賀県指定重要無形民俗文化財

<公 開 日> 毎年10月12日

<公開場所> 高志神社の能舞台(佐賀県神埼市千代田町下坂字高志)

<時   間> 午前11時ごろから午後0時10分頃まで

<駐 車 場> 高志神社にある 

<ト イ レ> 高志神社にある

<問合せ先> 神埼市教育委員会 社会教育課 文化財係  TEL 0952-44-2296

(注意)公開場所や日時は保存会の都合で変更になる場合があります 
      
<NIA取材記>


佐賀県指定、国選択無形民俗文化財の「高志狂言が、

2012年10月12日午前11時ごろより1時間程度、高志神社の秋の例祭に

境内にある能舞台で奉納された。

高志神社は山門もある立派な神社で、広い境内の隅に古びた能舞台がある。

事前調査では、参観者が少ないとの事であったが、

50人程度の方々が熱心に参観された。

やはり平日の昼間でもあるせいか、参観者は60歳代以上の方々であった。

神埼市の「歩こう会」と言う組織の方々も参観され、

会長さんの話では、例年、観客が少ないので30人ほど連れてきたとの事。

この方々がいなければ寂しいものになったかもしれない。

奉納が終わって無作為に感想を聞いたところ、「見に来てよかった」「とても面白かった」

「小学生の人たちも保存に協力して頑張っている姿に感動した」

「来年もぜひ友達を誘って見に来ます」

「こんないい文化財が断える事がないように、保存会の人たち頑張って下さい。応援します。」

との事であった。

                                      記述 2012.10.15 池松卓成
  
 <寒田神楽の内容説明>

「高志狂言」は、地区住民により200年以上前から継承されていて、

2000年に千代田中部小学校に「高志狂言クラブ」が発足、子どもたちがけいこに励んでいる。

江戸時代に狂言界の主流であった鷺流は、明治維新によって存亡の危機に瀕し、

中央の狂言界からは完全に姿を消しながら若狭・新潟・佐渡・山口などでわずかに

その痕跡をとどめていたとされているが、高志狂言はその秘曲とされる「半銭」を伝えている。

高志地区は約40戸の農村集落で、能の家元を島家(後に三井所と改姓)が、狂言の家元を古賀家が務めている。

出演者は地区の青壮年男子であり、現在では狂言だけが奉納されている。

高志狂言は本来、口授口伝を原則としていたため、

現在上演可能な演目は、半銭、附子、萩大名・千鳥・太刀奪、柿山伏など約20番ほどしかない

半銭は、鷺の初代仁右衛門宗玄が、徳川家康の命に依り新作した狂言であるが、

その秘曲を昭和46年(1971年)にその伝承者大坪勘一氏(故人)が昔の記憶を頼りに台本を書き起こし、その弟子達によって上演された。

それが今に伝えられているものである。しかし、これも何故、高志だけに残っているのかという詳しいことは不明である。

古賀家に嘉永7年(1854年)のものとされる直筆の台本が残されているものの、高志狂言の成り立ちや歴史を詳しく示す文献は少ない。

これは、高志狂言が「口授口伝」を原則に直接伝えられてきたこと、また収益目当ての興行を殆ど行なわず、奉納として演じられてきたことも一因である。

今でも酒の席では決して上演することはない。そこに、昔からの伝統とプライドを見出すことができる。

派手な公演を行なわず、地域の中で地道に実直に、しかも誇りを持って世代を超え伝えられてきたものである。

40年ほど前からその存在が徐々に注目を浴び、現在、高志神社の秋祭りでの奉納公演には県外からもファンが集まるほどになった。

鷺流を伝える佐渡、山口と3ケ所の交流や共同公演が行なわれるなど、その活動も広がりを見せている。

反面、後継者難の問題も深刻になってきている。高志狂言保存会では、地元の子どもたちへの狂言指導や公演も精力的に行なっている。


千代田中部小学校の「高志狂言クラブ」の平成24年度の公開は、「ぶす(附子)」の公演を行った。内容は以下の通りである。


太郎冠者・次郎冠者二人の召使を呼び出した主人は、桶を持ち出し「この中には附子という猛毒が入っているから大切に番せよ」と言いつけて外出する。

二人は附子の方から吹いてくる風に当たってさえ滅却する(気を失ってしまう)と言われるので、扇であおぎながら近付き、

怖いもの見たさに蓋を取ってみると、なんとそれは黒砂糖であった。

二人は奪い合って全部食べてしまい、その言い訳にしようと主人秘蔵の掛け軸を破り、天目茶碗を打ち割ってしまう。

 やがて主人が帰ってくると、二人揃って泣きまねをし「お留守中居眠りなどせぬようにと相撲をとるうち、

大切な品々を壊してしまったので、死んでお詫びをしようと思い附子を食べてみましたが・・・・・」 と謡がかりで報告する。

説話集『渉石集』の「児ノ飴クヒタル事」を原作とし、呑嗇(けち)な主人と茶目っ気のある召使の振る舞いを明るく描いた作品である。


高志狂言保存会の公演は「柿山伏(かきやまぶし)」であった。内容は以下の通りである。


羽黒山での修行を終えた山伏が、下向の途中喉が渇いたので柿の木に登り、夢中になって食べているところへ、

持ち主の百姓が現れて、散々になぶられる。

あげくに鳶の真似をさせられて木の上から飛び降り、したたかに腰を打ってしまう ・・・・・

 いかめしい足運び、飛ぶ鳥も祈り落とすほどの尊大な態度をとっていても、実力が伴わなければ、たちまち醜態をさらしてしまう。

柿の木に見立てた葛桶(かずらおけ)、象徴的な祈りの言葉は狂言独自のものである。