<無形民俗文化財公開情報>

<名   称>八女津媛神社の浮立(やめつひめじんじゃのふりゅう)

<種   別>福岡県指定無形民俗文化財

<公 開 日>5年毎、11月中旬の日曜日(2019年11月17日、2024年、2029年・・・)

<公開場所>道囃子 9:30~(八女津姫浮立館集会所)

浮立 10:00~ 八女津媛神社(福岡県八女市矢部村大字北矢部神窟)

<駐 車 場>八女津媛神社の駐車場は関係者専用になるため使用不能

 公道に駐車可能(数台のみ)

<ト イ レ>八女津媛神社の駐車場にある

<問合せ先>矢部支所総務課総務係 Tel. 0943-47-3111
 
(注意)公開場所や日時は変更になる場合があります 
   
<NIA取材記>


 取材は2019年11月17日(日曜日)に行った。

矢部ダムを通過したあたりから、矢部川源流公園で挙行中の「やべ祭り」の案内旗がはためいていた。

すごい人出で車は渋滞ぎみ。八女津媛神社はまだ山の上。やっとの思いで到着した。

立派な駐車場はあるが、まつり関係者の専用となっており、路上駐車するしかない。。

神社一帯は紅葉が素晴らしい。これだけでも見ごたえはある。

9時ごろから、神社から200mほど急な坂道を下った所で「道囃子」がある。

踊りながら神社に入るのかと思ったら、その場所だけとのこと。

神社での撮影場所の確保が優先されるので、「道囃子」の撮影は行わなかった。

10時ごろ浮立が始まった。狭い境内での奉納であるので撮影は大変であった。

風流は、同じ事が2回行われる。そして、1時間30分程度で終了する

五穀豊穣、国土安穏、天下泰平を祈願するもので、昔は毎年奉納されていたが、今は5年毎となった。

                               2019年11月 池松卓成 記す   
  
 <八女津媛神社の浮立の内容説明>

 八女津媛神社には「八女津媛伝説」がある。それは、「日本書紀」に書かれている話である。

4世紀半ばごろ、大足彦命(景光天皇)が筑紫の国に来られた時、青くけむる山中を指し、「あの一帯を治める者はだれか」と問われた。

大海という人が「その名は八女津媛と称し、常に山中にいる」と答えたという。神の窟の中で八女津媛が政治を行っていたという。

その八女津媛を祀っているのが八女津媛神社で、創建は養老3年(719年)と言われている。

この浮立の指揮者は真法師(しんぼち)と呼ばれ、僧の法衣を着て頭巾を被り、五色の布を付けた和傘と

「天下泰平・国家安全」と書かれた太唐団扇を持ち、口上を述べ、唐団扇を振りながら演技を指揮する。

上に座布団を置き、御幣を二本交差させて立て、依代とした大太鼓を二名で担ぎ、毛頭(けがら)を冠り、刀を背負った打ち方が打つ。

大太鼓と共に演技をするのは、毛頭を冠り胸前に小太鼓を吊るした小太鼓打ちが二名

法衣に頭巾をつけ、白布に鉦を吊るした鉦を打つ、鉦打ち二名、花飾りをつけた笠をかぶり、鉦を打つ「連」(むらし)二名である。

その他に、小紋の裃を着て御幣を持ち、行列の先導役を務める童子(どうじ)、紋付羽織の笛吹き10名ほども加わる。

更に、猿面や七福神、花編笠を被った女性や子供が周りを囲み囃したてる。

浮立奉納の当日は、定められた時刻に、それぞれの役の衣装を着て、八女津媛神社近くにある八女津姫浮立館に全員集合する。

ここからすぐ下まで道囃子を行う。正式には八女津媛神社の境内に設けられた演舞場(ムシロ敷)を数回廻ることになっている。

浮立は流れは以下のようである。

(!)真法師の向上:東西、東西。御鎮まり候へ。ここもとに罷り出でましたる者は、江州比叡山の麓に住居をなす真法師にて候。

天下泰平、国家安穏の御代の時、弓は袋、太刀は箱に納めましたは、何と目出度い御代では。

左様ございますれば、五穀豊穣、御願成就として、氏子中の子どもに笹をかたげさせ、面白からぬ浮立をザァーとうたせます。

早々、浮立を始めい、始めい。

(2)ひよこ囃子:神と村人が問答し、神と一緒に踊り出す

(3)まくり:神に五穀豊穣御願成就を感謝して踊りを奉納し、深い信仰を誓う

(4)わたし:集まった村人たちの周りを神が廻り、来る年の祈願成就を約束する

現在、浮立は飛・土井間・神の窟・竹の払の四地区で、八女津媛神社浮立保存会が結成され、保存・伝承・奉納・公開を行っている。