|
|
|
<無形民俗文化財公開情報>
<名 称> 須佐能袁神社神幸行事(草野風流とも呼ばれる)(すさのうじんじゃじんこうぎょうじ)
<種 別> 久留米指定無形民俗文化財
<公 開 日> 偶数年(2020,2022・・)第三土曜日と日曜日
<公開場所> 須佐能袁神社(福岡県久留米市草野町草野443-2)の境内とお旅所
<時 間> 第1日目
0:00~ 遷御祭 (神様が神輿にお移りになる神事) 須佐能袁神社本殿にて
11:00~ 例大祭 須佐能袁神社本殿にて
16:30~ 発輦祭 須佐能袁神社本殿にて
17:00~ 草野風流、大名行列、獅子、ダコ面、神輿などがお旅所に向けて出発する
21:00 仮宮着座祭 お旅所にて
<時 間> 第2日目
11:00~ 例大祭 お旅所にて
16:30~ 還御祭 お旅所にて
17:30~ 大名行列、獅子、ダゴ面、神輿などが本宮に向けて出発する
<駐 車 場> 神社には駐車場はないが近くに臨時駐車場あり 付近の道路は交通規制あり
<ト イ レ> 神社に仮設トイレあり
<問合せ先> 久留米市文化観光部文化財保護課 TEL0942-30-9225
(注意) 公開場所や日時は保存会の都合で変更になる場合があります |
|
|
<NIA取材記>
この取材・撮影は平成22年度(2010年)久留米市提案公募型モデル事業により行った。
久留米市文化財保護課や市民活動振興室、草野風流保存会、須佐能袁神社宮司及び
氏子の皆様、山辺道文化館、草野歴史資料館の樋口一成氏、
とくに草野校区コミュニティセンターの事務局長上野博利氏にはビデオ撮影までもご協力いただいた。
諸氏に紙面を借りて感謝申し上げる。
さて、須佐能袁神社に初めて訪れた時は、社殿の立派さに驚いた。
楼門、本殿は福岡県指定の文化財になっているだけあって、建物はもちろん彫刻も素晴らしい。
中国の故事を題材にしたものや、十二支(子牛寅・・・)ではなく、二十四支(24の動物)の彫刻があるという。
須佐能袁神社神幸行事は草野風流とも呼ばれるように、最初は風流だけだったらしい。
その後、大名行列、獅子舞が組み入れられ現在の形になった。
大名行列、風流については、二週間前から練習風景の撮影も行った。
梅雨が明けず毎日の雨で、とくに大名行列の練習は時間不足気味であった。
練習状況の撮影を通じて顔見知りになると、いろんなお話しも聞けるようになり、
これらもビデオ収録できたことは幸いであった。
さすが祭りの当日になると、立派な千両役者が出来上がっていて、思わず微笑んでいる自分に気づいた。
子供達はその役柄に誇りを持っている。
小さい時から祭りに参加し、祭りを楽しみの1つにしてきたのである。
この草野という地域は、昔は草野氏の竹井城の城下町として栄え、
秀吉に草野氏が滅ばされてからは日田街道の宿場町として栄え、
ハゼの実で作るロウソクで財を成した分限者も多数あり、
豪華な屋敷が街中や矢作の町並みに残っている。また、柿などの果樹や園芸が盛んで、
最近は昔からあった「椿」(樹齢300年以上の椿が多い)で町おこしを計っている。
2010.8.19 池松卓成 記 |
<須佐能袁神社神幸行事の内容説明>
神様が山から村里に降りてきて、人々のいろんな願いをかなえ、再びお帰りになる神事を「神幸行事」と言う。
地方によっては御幸・御出・御旅などとも呼ばれる。
須佐能袁神社神幸行事は、風流・獅子舞・大名行列からなる。その由来や歴史的背景は以下の2点から知ることが出来る。
[草野}風流の由来]
建久8年(1197年)草野家発心城主、草野太郎永平が、須佐能袁神社を勧請して、天下泰平、五穀豊穣を祈って、草野風流を始める。
天正16年(1588年)豊臣秀吉の九州平定の際、草野家滅亡と共に風流も途絶えるが、須佐能袁神社は氏神として崇められてきた。
文政11年(1820年)草野風流再興するも、昭和37年(1962年)人員難で途絶え、昭和56年(1981年)再び再興される。
昭和59年6月29日、久留米市無形民俗文化財に指定され今日に至る。
[草野}風流口上]
風流の演技の中で行司役の男児が草野}風流口上を読み上げる
仰々、この草野風流と申すは、昔草野庄、九瀬川の河泊(カッパ)より不思議の教を請ひ、当社祇園牛須天奏し来たり。
然るに草野殿、天正十五子歳太閤秀吉の為に没落にをよび、この楽絶えたり。
再興の時至るかな、幾百歳を経る事、遥かに過ぎて、文政十一子年、故有りて昔を今に返し、
水無月の御幸の年毎に幾千代尽くせぬ風流の楽を奏し、神霊をしづめ天下太平、国家安穏を祈る物ならんとしかいふ。
はやはやみなみな奏し給へそうしたまへ。
草野風流は、45名(内子供36名)からなる。太鼓打ち3名、大鉦打ち2名、中鉦打ち2名、小鉦打ち20名~、横笛吹き4名~、行司1名は子供達。
大人は、太鼓2名、大鉦2名、中鉦2名、先頭旗持ち1名など荷方を務める.。
太鼓打ちは、赭熊(しゃぐま)を被った3名が順に舞う。2番目の舞の途中に行司が巻物を出して「草野}風流口上」を声えたからかに読み上げる。
太鼓には紅白の旗が対をなして立てられ、天下泰平・国家安泰と染め抜かれている。
風流の曲目は、「神の前」「幕流」「道行」の3曲が奏でられる。
赤の面をつけ、赤白の市松模様の上下、下駄をはき、竹の棒をもつた赤鬼と、
緑の面をつけ、緑白の市松模様の上下、下駄をはき、竹の棒をもつた緑鬼の二匹の鬼(ダゴ面と呼ぶ、正式名称は「振分面」)が祭りを盛り上げる。
鬼の後頭部には五色の御幣が付けられていて災いを防ぐとされ、鬼に頼んで貰う人もある。
なかなか頼んでもくれないので奪い取る者もいる。奪われた鬼は、竹の棒を振りかざし逃げる者を追いかける。
激しいこれらのやり取りは、若い人々を祭りにひきつける魅力にもなっている。
大名行列は、30名からなる。大弓持、御箱方、人傘、立傘、大羽車、飛槍と連なってゆっくり歩いてゆく。
決して派手なものではなく、動作がゆっくりで同じ動作の繰り返しであるので面白みがないかも知れないが、個々の動作に洗練されたものがある。
また全体が見れる位置からの眺めは、昔の行列のありようが推測され趣深い。
獅子舞は、25名からなり黒赤の雌雄二匹にそれぞれ二名が入り舞う。
神社境内では、三番打上げ、神の舞い、暴れ獅子を演じる。道中では所定の3ヶ所で舞うほか、氏子の家に門付けして舞う。
獅子は神輿を守る役目も果たしている。
神輿の宮入の際に、宮入したがらない神輿を背後から追う役目もあり、神輿と獅子の争いは参観者も引き付けて興奮冷めやらぬものがある。
この行事は一日目が須佐能袁神社からお旅所まで行ってお泊りになる行事
二日目はお旅所から須佐能袁神社にお帰りになる行事である。この行事が始まる頃は、梅雨が空け本格的な夏が始まる。
池松卓成 記
|
|
|
|