<無形民俗文化財公開情報>

<名   称>御井町風流くみいまちふりゅう)

<種   別>久留米市指定無形民俗文化財

<公 開 日>①毎年1月1日ごろ(高良山元旦祭の期間中に奉納)
          
  ②毎年10月11日ごろ(高良山おくんちの期間中に奉納)

<公開場所>高良大社(〒839-0851福岡県久留米市御井町1番地)社殿前

<時   間>11:00~ 午前の部(高良大社社殿前)
        13:00~ 午後の部(高良大社社殿前)

<ナビ>高良大社 ☎ 0942-43-4893

<駐 車 場>高良大社に30台程度の無料駐車場がある

 <ト イ レ>高良大社にある

<問合せ先>久留米市文化観光部文化財保護課  TEL0942-30-9225

(注意)公開場所や日時は保存会の都合で変更になる場合があります 
   
<NIA取材記>


 久留米に住むものは毎年一度は必ず参拝するという高良大社は、久留米市民の誇りでもある。

ご祭神(三座)は高良玉垂命(こうら たまたれのみこと)、八幡大神(はちまんおおかみ)、

住吉大神(すみよしおおかみ)である。

高良大社の御神期大祭は50年に一度行われる。

平成7年に行われた1600年大祭は、先導神職、赤鬼・青鬼、獅子方、風流方を先頭に、

稚児行列まで、長さ500m以上もあり、高良大社から篠山神社への往復を

三日をかけて行列するという盛大な祭典であり、この大祭にも「御井町風流」は参加したという。

この高良大社には、元旦とおくんちの年2回、25年あまり風流奉納を続けている。

その長年の功績に対して2010年10月11日、高良大社宮司より感謝状と記念品の贈呈があった。

  ところで、風流の練習は高良山の中腹にある愛宕神社で行われている。

愛宕神社は、京都府愛宕山の神で、火伏せ、火難除けの神として広く信仰されているが、

特に牛馬の守護神としても篤い信仰を集めており、境内には牛馬の石造がある。

寛文11年(1671)に現在地に鎮座された。NIAは、愛宕神社での練習風景も2日間撮影した。

薄暗い拝殿の中での練習は気迫がこもっていて、とても良い映像となった

        2010年10月 池松卓成 記す
  
 <御井町風流の内容説明>

 耳納山脈の最西端の一峰にある高良山は、別名を高牟礼山(たかむれやま)といい、

筑前、筑後、肥前三国に跨る広大な筑後平野 の真ん中にあって、眼下には筑紫次郎と呼ばれる筑後川が悠々と流れている。

標高312m、さほど高くはないが、この大河や大穀倉地帯を一望のもとに見渡せる展望の雄大さは他に類はなく、

高良山が古代より 宗教、政治、文化、軍事、交通の要衝として歴史上に果たした役割は極めて大きかったといえる。

高良山は古来「神良神楽」の発祥地であり「琴弾宮(ことひきのみや)」とも呼ばれ、舞楽、神楽の祖神と仰がれている。

今日九州一帯 に継承演舞されている伝統芸能の中には、高良山より伝授された神楽が多数あるといわれている。

「高良玉垂宮神秘書」には、古来高良山では神幸行事とかかわって田楽が行われてきており、

御神幸の際、神輿の前に三十人の 「田楽かけ」が供奉したと記されている。かって高良大社の本殿内陣の壁には「田楽の能」の図が描かれていた。..

伝説によると、源平争乱の折、高良山にたてこもった平氏一門を源範頼が牛の角に松明をつけ攻め上るという奇計をもって追い落とし、

平氏は筑後川に 沈んで河伯(かはく)水神、すなはち河童となったと言われている。

その怨霊を鎮めるために神領の千代の中村(現久留米市北野町中村)より奉納された水神祭の楽が風流であるという。

このように筑後楽は平家伝説を基本としている。

古く高良山で仏事の後に行われていた 「延年の舞」の風流が他の雑芸や田楽などを取り入れ、中世末以降に庶民の間に浸透していったものであろう。

御井町風流は高良 大社に古くから奉納されてきた「田楽かけ」「田楽能」の伝統をひき、

この種の風流踊りの原形をなすものとされ、筑後楽の本流といわ れている。

ところで「田楽」とは、田植えにおいて天空から田の神を勧請し、太鼓をたたいて囃し、豊年を祈願する神事である。

この田楽が次第 に風流化していった。

風流とは華やか、派手、きらびやかという意味で、祭りの道具を飾り立てたり、衣装を華美にしたりということが 行われるようになった。

中世以降の風流熱は盛んで、日本各地に数多く伝承されている。

筑後地方に伝承されている風流は、太鼓楽で、中央にすえられた一基もしくは二基の太鼓を打ち鳴らす。

御井町風流がいつごろ始まったかは不明であるが、明治になって御井町の字名「高良山」の住民が「高良山同志会」を結成し、

高良大社御神幸に獅子舞とともに奉納したが、戦後中断し、昭和36年(1961年)に復活し

10月10日の例大祭(高良山おくんち)と翌年の高良山元旦祭に奉納したが再び中断した。

昭和52年(1977年)御井町住民によって「御井町風流保存会」が結成され、高良山元旦祭、高良山おくんちの年2回奉納している。

御井町風流は、太鼓方、鉦方、笛方、そして口上を述べる男児からなる。

太鼓方は頭に赤毛赫熊(しゃぐま)をつけ、黒紋付に白襷(たすき)をかけ、赤の裁着袴(たつつけばかま)にゴム底の白足袋をはく。

両手に短い枹(ばち)をもった二名の者が、二面の太鼓のそれぞれに向かって、同じ動作で打ち鳴らす。

演目は3つあり次の通りであ る。

1:風流 御神幸行列などの時、移動しながら打つ舞の原形である。道行(みちゆき)とも言われる。

2:幕流 早いリズムの舞で戸々を門づけして回るときに舞われる。

3:神の舞 御神前のみで奉納される舞で横転などもあり、踊りの要素が濃く動作も大きい。

鉦方は二人で一個の大鉦を木槌で打つものと、一人で一個の小鉦を打つものの二種類ある。

黒紋付に白襷、白鉢巻、袴に白足袋をは く。「ヨイヤ」の掛け声を入れて調子を整える。

笛方は、女竹を使い、歌口のほかに7穴ある。黒紋付に裃をつけた大人3名程度が務める。

口上を述べる男児は、色物を着て、頭に烏 帽子をかぶる。 その口上文は以下の通りである。

「皆々静まり候らへ これより風流のいでたちを申さん。

筑後の国、御井の里より出でたる風流(ふりゅう)と申し、石上(いそのかみ) 古き昔、高良玉垂大神の御幸に事興れり。

故(かれ)里人等、古き御手(みて)振り恐(かしこ)み神習(かんなら)ひ奉(まつ)りて、

仕へ奉る風流の音(ね)清く美(うる)わしく神慮(みこころ)安く、平穏(おだい)に聞食(きこしめ)せと宣(の)り奉(まつ)る。 いざや奏で候らへ。」


赤い赫熊は 河童の化身 太鼓たたいて 舞い狂う   ( 池松卓成 )