<無形民俗文化財公開情報>

<名   称>感応楽(かんのうがく)

<種   別>国選択無形民俗文化財

<公 開 日> 4月30日・5月1日(偶数年に公開、2020.2022.2024・・・・) の両日

<公開場所>大富神社(福岡県豊前市四郎丸256)及び住吉御旅所(福岡県豊前市八屋町八尋浜)・各お社等

<駐 車 場>大富神社の駐車場有り(70台可能)、住吉御旅所には臨時駐車場有り

<ト イ レ>大富神社にある

<問合せ先>大富神社 Tel.0979-83-3450
 
(注意)公開場所や日時は変更になる場合があります 


    <NPO-NIA取材記>

感応楽の取材は2018年5月1日に行った。10時ごろ大富神社についた。

駐車場は広く安心した。いつものことだが駐車場には困ってしまう。

ます驚いたのは1の鳥居の大きい事。見上げるほど大きい。

別表神社だけあって拝殿・本殿・神楽殿・勅使井など古いが年代を感じる。

境内には誰もいなかった。そのために、宮司さんといろいろとお話をする機会があった。

八屋町八尋浜の住吉御旅所で「八屋祇園」をやっているとの情報でそちらに向かった。

とても歩いてでは無理。車でも10分はかかる。住吉御旅所の境内には舟形した山車が数台勢ぞろいしていた。

昨日の宮入りは勇壮で奇麗だったと地域の人が教えてくれた。

踊り舞台が付いた山車が数台若衆に引かれて町内を練り歩く。商家の前に横付けして、

演歌に合わせて着物美女が艶やかに舞い踊る。

今回は神応楽の取材であるので、15時ごろ大富神社に戻った。

近くのお堂の前で16時ごろに感応楽が舞われるとの情報と得て撮影を行った。

19時ごろ大富神社境内での感応楽が撮影のメインとなった。暗くなった境内に炊かれた焚火の光での撮影は最高の

クライマックスである。運悪く雨が降ってきたが無難に撮影を終えた。汗まみれ、泥まみれ、おまけに沢山歩いた。

                                 2019.8.20 NPO-NIA理事長 池松 卓成 記す
  
 <感応楽の内容説明>

 
◎公開日時の詳細
 4月30日・5月1日(偶数年に公開、2018.2010.2012・・・・) の両日に大富神社・住吉御旅所・各神社等で2日間で13回、19楽もある感応楽が奉納されます。
祭典の前日(4月29日)には足ナラシとして、楽打を奏します。祭の当日(4月30日)は御神幸の前、大富神社御社頭で打ち、次に八屋町八尋浜の御旅所でお着きの楽が奉納
されます。翌日(5月1日)は地元の10ヶ所で奉納され、神輿が本社である大富神社に還った時(午後7時)にお着きの楽が打たれます。
そして最後に打能楽を奏し、一連の奉納を終えます。

◎大富神社について
大富神社(福岡県豊前市四郎丸256)の主祭神は住吉大神・宗像大神・八幡大神で、格式高い別表神社です。当地(山田庄)には平安末期頃、宇佐神宮の弥勒寺(神宮寺)が
あり、宇佐神宮との関係が深い。境内には古来宇佐宮への勅使がこの地に宿泊する際に水を汲んで供した「勅使井」と呼ばれる井戸があり、現在でも神職が宇佐神宮にこの井
戸の水(御神水)を持参している。

◎大富神社の祭礼について
 大富神社では春の「神幸祭(じんこうさい)」、夏の「名越祭(なこしさい)」秋の「御供揃(ごくぞれえ)祭」と三つの大祭があり、
中でも最も規模の大きいものが春の神幸祭です。この神幸祭(八屋祇園)の時に隔年で奉納されるのがこの「山田の感応楽」です。

◎感応楽について
 感応楽は天地感応楽または豊前一国に限るという意味で国楽とも呼ばれています。 その起源は、大富神社に伝わる口伝書によると、
文武天皇元年(697年)に始まったといわれる。疫病退散祈祷のため修験者より伝授された舞楽を奉納したところ霊験あり舞楽を永久奉納するとの誓詞があったという。
また、大富神社所蔵の「覚書文書」によれば、天平13年(738)から2年間行った後に延宝5年(1677)まで中断し、その後現在まで継続されているとあります。その目的は
五穀豊穣、雨乞い、天下泰平、国家長久の祈願であり、人事を尽くして及ばざる最後の手段として神の前に一念を捧げその年の豊作を祈願したという。

◎感能楽の陣形
 広場の中心に立てた御幣の周りを、団扇使いが舞楽を行う中楽(なかがく)を先導する。
団扇使は正副の二人で、上裃(かみしも)に菅(すげ)笠、角団扇をもち、楽の指揮をとります。
楽打ちの陣形は、中楽が6人と団扇使い2人が円形に並び、外側に笛と鉦の囃子方が控える。囃子方は、裃をつけた笛12人、菅割笠の鉦打ち2組4人です。途中から国樂、
感応樂と表裏に書いた丸大団扇持ち2人が加わり大団扇を扇ぐ。また、円陣の外側には側楽と呼ばれる子どもたちも参加します。
中楽が大振りの締太鼓を胸前に抱え、背に御幣を立て、シャグマ、茶布をかぶり、紺絣、ヘラの木の皮で作った腰蓑、黒脚絆、黒足袋、草鞋の出で立ちで
撥を大きく振りあげ太鼓を打ち鳴らし、右に左に旋回しながら舞う様は勇壮で、激しい動きを通じて神と感応するという舞楽です。
その他に読み立て・汐水取り、さらに就学前の幼児が演じる側樂(花楽)として、中楽と同じ服装で子供達が参加します。舞楽の奏者に水を飲ませる水取2人も重要な役割です。

◎余談
 決められた場所で感応楽を奉納する中楽を本樂(ほんがく)という。その他の場所で奉納する中楽を代樂(だいがく)といい、本樂のOBが務める。なお、中楽は3回しか務める
ことができない。新樂→右(中楽)→左引き(リーダー)と進級する。2日間で13回、19楽もある感応楽を奉納するので凄い重労働になり、若い人でないと務まらない。
これほど大振な太鼓を用いる例は九州でも限られています。
現在では大富神社をうるすがみとする豊前市四郎丸の4地区(山田、八屋、千束、横武)の氏子たちが支えています。踊の手は「ダンメンドロ」「道楽」「念仏の切」など十九
種があり、その演技・演奏法は豊前地方の代表的な楽打として、特色の著しいものである。