<無形民俗文化財公開情報>

<名称>海津御田植祭(かいづおんたうえさい)

<種別>福岡県みやま市指定無形民俗文化財

<公開日>毎年3月第1日曜日(2018年は3月4日)

<公開場所> 海津阿蘇神社(福岡県みやま市高田町海津)

<時間>4:00~ 禊

10:00~ 集会所に集まって準備(2018年は向田集会場)

10:30~ 集会所でお謡い3番、宴会 その後、座元の家に移動(座元の家で宴会が行われる年もある)

12:45~ 座元から海津阿蘇神社に向かって行列をつくってすすむ

13:00~ 神事

13:32~14:10 御田植祭

<駐車場>神社には5台程度、近くの農道に駐車

<トイレ>仮設トイレあり

<問合せ先>みやま市教育委員会 社会教育課 市史編さん係  TEL0944-32-9183
 
(注意)公開場所や日時は変更になる場合があります

<NIA取材記>


海津阿蘇神社の石灯篭には「ナマズ」が彫られている。そのいわれを聞いてみた。

阿蘇には開拓の神「健磐龍命(たけいわたつのみこと)」にまるわる神話が多く残っている。

日本神話に登場する人物で、本社阿蘇神社の主祭神である。

健磐龍命(たけいわたつのみこと)が草部(くさかべ)から阿蘇へ向かう途中、

外輪山から西を眺めると満々たる湖水がカルデラの中にあった。

その広大さに感心して、水を流して田畑にすることを思いついた。

湖水を流れ出るように外輪山の一部を力まかせに蹴ったが破れなかった。

そこは山が二重になっていて一番厚いところだった。以後、その場所は「二重峠(ふたえとうげ)」と呼ばれるようになった。

次に別の場所を蹴ると見事に蹴破ることができた。

外輪山に穴が開いて湖水の水が流れ出し、作物ができる平野が生まれた。ここが今の立野火口瀬である。

立野(たての)の地名は、蹴った時に力余って尻餅をついた命が、「もう立てぬ」と言われたためだけと伝えられている。

蹴破ったところからは、湖水が一気に西の方に流れ出て、数匹の鹿が流されたので、

以後「数鹿流(すがる)が滝」と呼ばれるようになった。

湖水の水は引いたが、まだ水が溜まっているところがあった。よく見ると大きな鯰(なまず)が横たわり、湖水をせき止めていた。

命が鼻に縄を通して引っ張って追い出そうとすると、さすがの大鯰ものろのろと動き、現在の上益城郡嘉島町へ流れ着いたという。

命が退治した鯰の祟りを鎮めるためにその霊を祀った「鯰社(なまずしゃ)」が国造神社の境内にある。

命は鯰を食べることを禁じ、阿蘇神社の人々は今でも鯰を食べない風習が残っている。

ここ海津阿蘇神社の氏子たちもナマズを食べないということである。

ウナギは海と川とに生息するが、ナマズは一生川にすむ。そのためかウナギより美味しいそうである。
                                                                                                                      2018年5月30日 池松卓成 記す
  
  <海津御田植祭の内容説明>

毎年3月第1日曜日に豊作を祈願して、福岡県みやま市高田町海津の海津阿蘇神社で御田植祭が行われます。

朝鮮の役に出兵した柳川藩の家老小野和泉守が、阿蘇神社(古川の早鷹)にお礼言上の参拝をし、

その後、元和8年(1622年)に現在の地に社殿ならびに神田3田3畝を献納して感謝の辞を捧げた。

その折に本社阿蘇神社より豊作祈願のための御田植祭の返礼を受けたのが始まりと言われています。

座元と呼ばれる氏子の家(集会場の場合もある)で宴会が行われ、座元から神社までを道行する行列が見どころとなっています。

神社で神事が行われた後、境内の広場では、初春からの心構えに始まり、

耕地、種まき、苗作り、早乙女の田植えと続き、秋の収穫までの様子を「めでたし」「めでたし」と喜ぶ様を表したものである。

神主や田打男、早乙女などが独自の掛け合いの田植え歌を交えながら奉納します。

この掛け合いの歌の形態は当地独自のものがあります。