<無形民俗文化財情報>

<名称>糸田祇園山笠(いとだぎおんやまがさ)

<種別>糸田町指定無形民俗文化財

<公開日>毎年5月の第2土曜・日曜

<公開場所>フェスチィバルパーク(福岡県田川郡糸田町。旧町役場跡)

<時間>各山笠小屋出発(15:00ごろ) 集合場所到着(17:00ごろ) 会場に入る(17:00~)

<駐車場>糸田町役場、平成筑豊鉄道糸田駅前、町民文化会館、農業倉庫、道の駅いとだ
     道の駅いとだ~糸田中学校下 シャトルバスあり

<トイレ>糸田町役場、平成筑豊鉄道糸田駅前、町民文化会館、農業倉庫、道の駅いとだ

<問合せ先>糸田町役場 地域振興課 商工観光係  TEL0947-26-4025
 
(注意)公開日時は変更になる場合があります 
   
 
   <糸田祇園山笠の内容説明>

 「糸田祇園山笠行事」は、宝永3年(1706)に京都今井津(現行橋市)の祇園社より、須佐神社に勧進(現在は金村神社に合祀)して行われた。山笠を建てたのはその翌年と

伝えられている。明治以前は1年か2年ごとであり、明治以後は毎年建ち、年中行事となった。明治中期までは旧暦の6月20日、6月21日に行われていたといわれている。

戦後、敗戦の沈滞した空気を吹き飛ばそうと、祭礼は毎年5月15日、16日の両日行ったが、昭和55年から、会社員の都合を考えて毎年5月の第2土・日曜日に変更された。

「糸田祇園山笠」は、300年以上の歴史を持つ伝統文化で、糸田町指定の無形民俗文化財である。

祭りの前日、お潮採りの儀式がある。これは、山笠の台になる枠の四隅に竹を立て注連縄を張り、枠には幕を張る。山笠の台とともに、泌川か中元寺川まで鐘・太鼓で担いで

行き川の水をかけ洗い清める。その後、地区に帰って飾り付けが始まる。

山笠の骨格となるのは城郭の模型で、これに歴史上の物語からとった名高い合戦の場面を再現した武者人形を飾る。内部には、囃し方の座る場所が設けてある。「馬簾(ばれ

ん)」と呼ばれる稲穂を模した装飾が最頂部から垂れ下がり、華麗な雰囲気を醸し出している。総重量は約2トン、高さは約9mもある。

山笠の飾り付けは祭り前日までに終了し、初日の夕方には町の中心部にあるフェスティバルパーク(旧町役場跡)を目指して町の一本道を各地区の山笠が練り歩く。

山は2種類ある。車輪のある「曳(ひ)き山」と、人が担ぐ「舁(か)き山」である。糸田町の山笠の特徴は、引き山笠ではなく担ぐ山笠であるということである。

この山笠を担ぐ出で立ちは、いずれも鉢巻姿(現在は地区によって色が違う)に三角形の肩すけ、丸首半袖シャツにお守り袋をかけパンツの上に胴巻きをしてその上に黒の

帯を巻き、白足袋・草鞋姿(地区によっては地下足袋)である。

重さ約2トンの舁き山が“エンヤーヤッサ、コーラーヤッサ”という約40名の男たちの威勢の良い掛け声と小気味よい鉦と太鼓のリズムに合わせて豪華な飾り付けの山が町内を練

り歩く姿は、まさに壮観である。

クライマックスは、フェスティバルパークに集結した10基以上の山笠が、日暮れとともにライトアップされ幻想的な光景を見せてくれる事。 また、電飾をともした山笠同士が

正面からぶつかる直前まで進む「競り合い」などを披露する事。  

また、御御輿は、伯林寺横の御旅所祇園社に泊まる。各山笠は各地区に帰っていく。最終日も昨日と同じで、山笠はフェスティバルパークに集結し華麗なる動きで観衆を魅了

する。

昔は、最終日の夕方に神霊が神社に帰る御通行であるため、須佐神社の境内まで山笠を担いで送ったそうである。ただし、主な飾りをはずして柱に提灯を掲げていたという。

現在では、その名残として、山笠の一番高いところに飾っているバレンを神社に持参している。

疫病退散や五穀豊穣(ほうじょう)を祈念して糸田祇園祭(御神幸春祭り)の一環として行なわれるもので、糸田町最大の祭りである。
<NIA取材記>

 取材は2018年5月12日に行った。糸田町は5年前に金村神社の田植祭のビデオ制作の為に6回ほど行ったことがあるので懐かしかった。早く着いたので、泌(たぎり)や

金村神社にも行ってみた。すると、金村神社拝殿横には「福岡県指定無形民俗文化財 田植祭」という石碑が立っている。5年前の田植祭のビデオ制作は糸田市指定を福岡県

指定に昇格させるために、糸田町教育委員会に依頼されて、公開本番の田植祭を撮影するとともに準備段階から歴史的背景まで収録編集した力作であった。とうとう認められ

たのだと安堵した。

糸田町役場の駐車場に車を置いて「南糸田の山笠」を見に行った。午後3時30分に出発との事。今は2時、だいぶん時間があるので、ここから近い「純心会の山笠」を見に

行った。ここはもう出発するという。初日の集合場所の修理田橋付近(最終日は糸田小学校付近)まで撮影し、ここで「竜康会」と「友好会」を撮影した。

「南糸田」の出発を撮影するため急いで戻った。ここは高台にあって出発の様子は絵になると思ったからである。その後はフェスティバルパークでの撮影を行った。観衆が多

くて思ったようには撮影ができなかったが最大の努力は行った。

                                                       2018年5月29日 池松卓成 記す