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<無形民俗文化財公開情報>
<名称>守母神社の伝説(しゅぼじんじゃのでんせつ)
<種別>須恵町指定無形民俗文化財
<公開日>毎年4月23日、24日
<公開場所>守母神社(福岡県粕屋郡須恵町植木字大塚)
<時間>8:00~17:00 随時
<駐車場>守母神社及び近くの空地に駐車
<トイレ>仮設トイレあり
<問合せ先>アザレアホール須恵 TEL092-934-0030
(注意)公開場所や日時は変更になる場合があります |
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<NIA取材記>
取材は2018年4月24日に行った。
当日は老人クラブの方々も参拝されていて駐車場は満車であったので
守母神社のすぐ上の須恵東中学校付近の道に路上駐車した。
神社の前は整備された大きな池で、神社も新しく悲しい物語の神社である雰囲気はしなかった。
参拝者も多く線香の煙が絶えることはないように思えた。
2018年5月29日 池松卓成 記す
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<守母神社の伝説の内容説明>
守母神社は、高鳥居城主杉弾正忠(豊後守興運)の幼児の乳母である慈照天眼禅尼(死後、守母大菩薩と称する)を祀る。
乳母は由緒正しい武門の出身で、長じて杉氏家臣に嫁し、一男児をもうけて佐谷に住したと伝えられる。
文武両道に秀で、良妻賢母の名声城下に高く、それゆえに城主に召し出されてその幼児の乳母となり館に上がる。
幼君の養育に専念して僅か六ヶ月後の天正13年(1585)4月、岳城山(須惠町須惠・上須惠、篠栗町若杉境界)にあった高鳥居城が、
秋月種実・伊集院忠棟(島津方)軍に攻められて落城した。
その時、乳母(慈照天眼禅尼、或は大献黙笑禅師ともいう)は、城主杉弾正忠重(戦死)の主命によって
幼君を植木村の山麓の霊樹山道林禅寺(須惠町植木)に託すべく、幼君を連れて本丸を後にした。
夜陰に乗じて落ち延びる途中、切通越下の山中に至り、とある岩陰で身を隠して潜んでいたところ、
乳母に抱かれ熟睡していた幼君が突然泣き出し、泣き止まぬ幼君の泣き声を聴きつけた島津軍に発見され、幼君ともども討ち取られた。
乳母は幼君の夜泣きの一声こそなければと、悲憤の涙にくれ
「この身はこの地に果てるとも万民の母になって、幼児の夜泣きを止め、子供を二度とこのような悲しいえにはあわさぬ」と誓って、
幼児の夜泣きを止める霊神となると言って果てたという。
その後、非業な最後を遂げた乳母の霊を「守母様」と仰ぎ称して、
この場所に乳母を祀る小さな社祠が建てられ、「守母神社」と称し、
今日まで幼児の夜泣き止め霊験に加えて幼児の守護神としての信仰が続いている。
この祭礼時に子供を連れてお参りし、御札をもらって、人形を借り、
一年たってこの時に借りた人形と新たに買った人形を奉納して子供のすこやかな育成を祈願する。
幼児連れの親が人形や玩具、菓子等を守母神社の神前に供え子供の無病息災を祈念して帰る風習は、今も昔も変わらないが、
現在の社祠は、参拝所を含む比較的大きな建物となったので、
以前のようにこれらの供物が雨ざらしとなるようなことがなくなった。
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