<無形民俗文化財公開情報>

<名   称>円座餅搗行事(えんざもちつきぎょうじ)

<種   別>福岡県指定無形民俗文化財

<公 開 日>毎年12月の第一日曜日

<公開場所>下香楽公民館(福岡県築上郡築上町下香楽)

<時   間>8:00ごろ:清地(すがち)神社で行事があり、

その後、地区の子供達が招待(「子供座」)され、お膳立てで振るまわれる

12:00ごろ~15:00ごろ:下香楽公民館で「本座」があり、

最後に今年から来年の座元へ引き継ぐ「おとば渡し」の儀式がある

15:10ごろ~:男衆の着替えの完了をもって餅つきが始まる。終了は15:40ごろ。

<駐 車 場>駐車場はない

 <ト イ レ>下香楽公民館前の消防倉庫のトイレ使用可

<問合せ先>築上町役場商工課商工観光係 TEL 0930-52-0001
 
(注意)公開場所や日時は保存会の都合で変更になる場合があります 


   
<NIA取材記>


 築上郡下香楽は、福岡県の北東部に位置し、三方が山に囲まれた農業が中心の町である。

福岡県久留米市から行くのに山を2つ越え、途中で道を間違えて三時間以上はかかった。

下香楽公民館の場所は、グーグル地図で事前確認出来なかった。

だから見当をつけてこのあたりかなと進んでいくと、橋の欄干に小旗が数本はためいていた。

何の旗かなと、書いてある字を読んだ。「円座餅つき」と書いてある。

多分橋を渡った向こう側なんだろうと思いながら橋を渡って進んで行くと

橋からすぐの所に下香楽公民館があった。

8時から出て11時すぎに到着。とても疲れた。

すぐに保存会の人から情報を収集。

なになに、「正午から本座があって、食事のあと「;円座餅つき祝い唄」をみんなで歌つたり

カラオケを唄たり、酒を酌み交わす。それが3時ごろまでつづき、

座の終わりごろに来年の担当に引き継ぐ儀式を行う。

それから若衆は裸になって餅つきの準備をする」というこだ。

餅つき開始まで3時間ほどある。昼食をとって準備をしようと食事をとっているとポツポツと小雨が落ちてきた。

天気予報は午後から雨と言っていたが当たったなと思う。

雨の中の撮影は、撮影機材に防水カバーをかけなくてはならない。

操作がしにくいし、防水カバーにあたる雨音も録音されるので最悪である。

小雨の中、清地(すがち)神社の撮影を行った。

神社のすぐ下に大きな池があり、周りの木々の紅葉が面に映ってとてもいい絵になっていた。

神社は大きな社で、拝殿がとても広かった。昔は、村の寄り合いや祭りがここで行われていたのだろう。

2礼2拍手1礼と参拝して下香楽公民館に戻った。

下香楽公民館では30名ほどの老若男女が集い、古老の音頭取りで「;円座餅つき祝い唄」が唄われていた。

餅つきの文化財撮影はこれで3件目になる。

東京都世田谷区指定の「代田餅つき」、埼玉県指定の「金谷の餅つき踊り」である。

「代田餅つき」で唄われる歌は、この円座餅つきの唄と歌詞は似ていた。

               記述 2012.12.04 池松卓成
  
 <円座餅搗行事の内容説明>

 12名前後(諸事情により変動する)の白ふんどし、白足袋姿の男衆が、円座餅つき音頭に合わせて臼の周りを時計回りに周りながら樫の棒で餅をつく。

清地(すがち)神社の、悪疫退散・五穀豊穣祈願の秋の大祭りの行事である。清地神社は天疫神社、疫神社と呼ばれている。

昔、この地に疫病が流行り、住民は神様に神饌を供えて疫病退散を願ったところ疫病がおさまった。

それからは、毎年お餅をついて病息災と安産をお願いし、神饌の餅を搗く時に、「われも、われも」と大勢がありあわせの棒で搗いたのが始まりといわれる。

この時ついた餅を 食べると一年間の健康と安産をもたらすといわれ、戦時中は一時中断していたが、戦後内容を少しずつ変化させながら復活し現在に至っている。

清地(すがち)神社は、村落を見下ろす丘陵地にあり、全面に大きな池がある。大祭の時期は木々の紅葉が湖面に映りとても美しい。餅を搗く場所は神社ではない。

昔は、座元の家の座敷に筵をひき、そこで餅つきをやったというが、現在は神社から150mほど下った下香楽公民館で行われている。

臼は3臼搗く。一番臼は御鏡餅一重ねと12ヶ月分の重ね餅12重ね(閏年は13重ね)を搗いたそうだが、現在は参観者に配る程度の餅が搗かれる。

この一番臼で唄われる「;円座餅つき祝い唄」の歌詞は以下である。

揃 うたナーァ 揃うたよ ヨーイヨイ つき手が揃うた 稲の出穂よりゃ ヤンレ なお揃うた  ヨーイ ヨーイ ヨイトナ アリャンリャ コリャンリャ ヨーイトナ

祝いナーァ めでたの ヨーイヨイ 若松様よ  枝も栄えりゃ ヤンレ 葉も茂る   ヨーイ ヨーイ ヨイトナ アリャンリャ コリャンリャ ヨーイトナ

こちのナーァ 座敷は ヨーイヨイ 祝いの座敷  鶴と亀とが ヤンレ 舞を舞う   ヨーイ ヨーイ ヨイトナ アリャンリャ コリャンリャ ヨーイトナ

一番臼が終わると「臼ねり」という勇ましい臼の奪い合いがあり、若衆に力水がふりかかる。観衆は臼や水を避けて逃げ回る。

二番臼は空臼である。何も臼には入れない。ただ音頭に合わせて棒を搗く。この二番臼で唄われる歌詞は以下である。

今年ゃナーァ 豊年 ヨーイヨイ 穂に穂が咲いて  道の小草に ヤンレ 米がなる  ヨーイ ヨーイ ヨイトナ アリャンリャ コリャンリャ ヨーイトナ

こちのナーァ 館は ヨーイヨイ 祝いの館  黄金切り窓 ヤンレ 銭すだれ ヨーイ ヨーイ ヨイトナ アリャンリャ コリャンリャ ヨーイトナ

こちのナーァ お裏の ヨーイヨイ おみょうがと蕗は  おみょうがめでたや ヤンレ 蕗ゃ繁盛   ヨーイ ヨーイ ヨイトナ アリャンリャ コリャンリャ ヨーイトナ


二番臼が終わると一番臼の時と同様に「臼ねり」がある。

次は最後の三番臼。

餅をしばらく搗いたあと、臼に12束の新ワラ(閏年は13束)が次々と投げ込まれ、藁交じりの餅を搗く。昔は、この藁交じりの餅も食べたと古老から聞いた。

この三番臼で唄われる歌詞は以下である。


旦那ナーァ 大黒 ヨーイヨイ ごりょんさんな恵比寿  出来たその子が ヤンレ 福の神  ヨーイ ヨーイ ヨイトナ アリャンリャ コリャンリャ ヨーイトナ

千秋ナーァ 万歳 ヨーイヨイ 千箱の玉よ  唄い納めよ ヤンレ 今ここに ヨーイ ヨーイ ヨイトナ アリャンリャ コリャンリャ ヨーイトナ

これがナーァ この家の ヨーイヨイ 終いの臼よ  臼にゃ暇やれ ヤンレ われ休め  ヨーイ ヨーイ ヨイトナ アリャンリャ コリャンリャ ヨーイトナ

臼を座に納めようとする者とこれを妨げようとする者で、壮烈な奪い合いがしばし行われる。

昔は、神社の前の池まで運んで、池にぶち込んだ事もあったという。

搗かれた餅は、病息災と安産のお守りとして参集者にちぎり餅としてふるまわれる。

「本座」は正午から餅つき開始まで下香楽公民館行われ、氏子で大祭り組加入(下香楽地域の全住民)の戸主と餅搗き手を招待して

お膳立て 仕出し料理、ご飯、煮込み、 豆腐汁、おこわ、漬物、酒、飲み物)をふるまう。

「本座」の終わり近くに、今年の座元から来年の座元への引継ぎの儀式である「おとば渡し」を行う。

午後3時過ぎから、30分ほど上記の円座餅搗が行われる。

「座」に出す料理はすべて決められているが、 代ごとに改められてきた。

昭和58年までは「座」に出す魚は祭池(出口池)で養殖する鯉鮒と決められていたが、

干ばつの時に困るという理由で海の魚でもよいことになった。

平成8年までは「円座餅座」(青年と本座で食事する)が、また数年前までは「婦人の座」(婦人がお茶を飲む)が行われていた。