<無形民俗文化財公開情報>

<名   称> 大分の獅子舞(だいぶのししまい)

<種   別> 福岡県指定無形民俗文化財

<公 開 日> 毎年9月最終の土曜日・日曜日

<公開場所> 大分八幡神社(福岡県飯塚市大分1272)及び周辺地域

<時   間>

土曜日:15時30分頃、神社境内で舞う その後、座元宅を巡回して舞う

日曜日:10時30分頃、神社境内で舞った後、座元宅数軒を巡回して舞う

14時30分頃神社境内で舞う

15時00分ごろから流鏑馬がある

<駐 車 場> 大分八幡神社に臨時駐車場あり

<ト イ レ> 大分八幡神社にある

<問合せ先> 文化財保護課  TEL 0948-25-2930

(注意)公開場所や日時は保存会の都合で変更になる場合があります 



   
<NIA取材記>


 取材は2012年9月30日及び2019年9月29日に行った。

動画は2019年のものである。2012年分はYouTubeで公開している。

大分八幡宮放生会は九月の最終土曜日、日曜日に開催される秋季大祭である。

流鏑馬や獅子舞が奉納され、福岡県内の獅子舞の一つの源流である獅子舞が奉納されている。

この獅子舞は享保五年(1720年)に京都の石清水八幡宮より学び

享保九年(1724年)にはじめて奉納されたのが始まりと云われている。

福岡県の無形民俗文化財に指定されている。

 土曜日の獅子舞(座元廻り)は新しく今年座元になった家を廻る。

日曜日には昨年の座元と区長宅を廻る。

獅子頭は雄獅子が13kg、雌獅子が12kgと相当重いので若手でないと体力が持たない。

昔は神様が家に来るという事で喜んで座元になる家が多かったが、

最近は接待が大変だということで、

今年の座元はどこにするかの順番を、くじ引きで決めているそうである。

                                                       
2012年9月 池松卓成 記
  
 <大分の獅子舞の内容説明>

大分八幡宮の放生会は 江戸時代中頃の 享保年間に再興され、以来絶えることなく執り行われている。

この放生会の 華となっているのが 「大分の獅子舞」 である。

この獅子舞が大分八幡宮の放生会に始めて奉納されたのは、享保9年(1724年) で、現在に至るまで約 300年間も守り伝えられている。

この時の願主となった庄屋、伊佐善左エ門直信は、前もって村人八人を京都に上らせ、男山の石清水八幡宮の獅子舞を習わせたという。

獅子頭は、幾度も塗り換えられてはいるが、当時のものと思われる。

重さは雄獅子が13.2kg、雌獅子は12kgあり、今は毎年九月の最終土・日の神幸祭に奉納されている。

華麗な舞と格調の高さに特徴があり、当時の都の華麗な芸能を伝えており、 笛、太鼓、銅拍手の囃子の調子に合わせ、

雌雄の獅子が舞い踊る姿は絶妙で、いにしえの優雅な舞を堪能できる。

大分八幡宮の獅子舞は、福岡県の無形民俗文化財で西日本を代表する郷土芸能である。

土曜日に、祭座と獅子舞。日曜日は、祭典、獅子舞、流鏑馬、餅まき、御神幸祭が執り行われている。


八幡大神と縁の深い放生会は、もともと仏教の教えに基づくもので、魚や鳥など生き物を放つ法会に由来する。

養老四年(720年)に宇佐神宮にて、八幡大神の託宣による放生が行われたのがその始まりとされている。

大分八幡宮で放生会が始まったのがいつかは定かではないが、

宇佐神宮の創建された神亀二年(725年)の翌年の神亀三年(726年)が創建であることから、

当初から放生会は執り行われていたと考えられている。

また、記録としては昌泰三年(900年)に太政官符により官幣に預かった際に放生会が斎行されたと記されている。

応仁の乱以降の衰退により放生会は途絶えたが、享保六年(1721年)8月15日に復活した。

享保八年(1723年)には流鏑馬が、その翌年の享保九年(1724年)には村人が石清水八幡宮で習得してきた獅子舞が奉納された。

享保十五年(1730年)には御神幸祭が再開され、神事祭事が整えらた。

明治期の神仏分離の後しばらくは、仲秋祭と名を変えていたが、現在は放生会に改められている。

日曜日の御神幸祭で神霊が御乗りになられる神輿は、

享保九年(1724年)3月に、庄屋の伊佐甚九郎直友、伊佐市郎治直伝、伊佐藤五郎によって寄進されたことが墨書されている。


(大分八幡宮のHPより抜粋)