<無形民俗文化財公開情報>

<名   称> 金村神社の田植祭(かなむらじんじゃたうえまつり)

<種   別> 福岡県指定無形民俗文化財

<公 開 日> 毎年3月15日

<公開場所> 金村神社(福岡県田川郡糸田町金村1145番地)の境内

<時   間>15:30 頃より金村神社境内で行われる。18:00頃終了

<駐 車 場> 金村神社付近に臨時駐車場がある

 <ト イ レ>金村神社にある

<問合せ先> 糸田町役場  TE L0947-26-1231
 
(注意)公開場所や日時は保存会の都合で変更になる場合があります 
   
<NIA取材記>


2012年3月15日に本番撮影を行った。

金村神社は田川郡糸田町にあり、中糸田(糸田は上、中、下からなる)の産土神である。

東は泌川岸に広がる水田に臨み、西は山地がせまり、

近くには旧真岡鉱業所の本坑の事務所や炭鉱住宅などがあリ、かって炭鉱で栄えた跡を残している。

「田植祭」は2012年3月11・14・15日の三日間、

糸田町教育委員会のご依頼で、その準備段階から撮影を行った。

11日は、全体の撮影打ち合わせを保存会長や副会長と行い

その後、糸田町全景の撮影と泌泉(たぎり)、中元寺川、泌川の撮影も合わせて行った。

とくに泌泉の湧水は、周りの田畑をうるおし 田植祭の発祥の根源となっているので、

泌泉の水をどのように撮るかは重要な課題であった。

泌泉(たぎり)は金村神社より車で5分程度離れた場所にあり、

直径12mほどの円形の池で、地下からの湧水があり水温16度、深さは2mほどである。

昔は湧水も多く子供達の 水遊びでたいへん賑わったという。

全体は玉垣で囲まれ、面積は300坪ほどで、鳥居もあり神域として大切に保存されており、

一角に水祖宮(小さな祠)がある。

祭り当日の早朝、この祠に参拝し泌泉(たぎり)から清水をくみ取り、金村神社へと運び神前に添えられる。

14日は、本番前日で、糸田でもめっきり少なくなった石菖の刈り取りの様子や、

糸田町在住の向笠氏のご先祖が、

江戸時代末期に、この田植え祭りの様子を絵師に描かせ掛け軸にされたものを撮影した。

極彩色で文化財的価値が高く貴重なものであるので細心の注意を払って撮影した。

この映像は、BD作品の全体構成上とても効果的に使用することができた。

糸田には城があって糸田城跡として石碑が建てられ保存されている。

少し物足りなさを感じたので敷地内に植わっていた、

打ち首を連想して武士が嫌うとされる椿の花も撮影し、城の映像の締めとした。

道の駅「いとだ」は「おじゅごんち」の別称がある。

その名称は、田植祭の3月15日の15日(じゅごんち)からきている。

それほど田植祭は糸田町に深く根ずき伝承されている。

桜も咲く3月中旬であったが、神社本殿の前の白梅、紅梅は満開であってとても美しく、

保存会の人がおっしゃるには、祭りの日に満開であるのは今だかってなかったとの事。

参観者も感嘆の声があちこちに上がっていた。この祭りのハイライトはいくつかある。

このような全国の田植え祭りにつきものは、臨月を迎えた女性が、小便をするという所作である。

ここの田植祭もこの所作はある。次に、耕しに使った牛が暴れて子供達を追っかけて回るといった所作。

これもある。 ここの田植祭でとくにいいなと感激したのは、最後の田植えの場面である。

苗の代わりに石菖が使われ土面におかれていくが、その時に歌われる唄である。


あーら めでたよな ソライ ソライ 

今年の稲は 八穂で八石 エレ 九石になれば ヨンホ ホンホウヤ ヨンホ 殿の世ざかり


ご本人は亡くなられたそうで、唄は録音テープであったが、のどかで独特の節回しはとても心が癒された。

ついでながら、金村神社拝殿の天井には15枚(70cm真四角の杉板)の絵がはめ込まれていて

「金村神社天井絵」として糸田町指定有形民俗文化財第1号となっている。

虎、猫、鳥などの動物の絵や、花菖蒲、水仙などの草木の絵、

中国や日本の故事をもとにした絵などが色彩鮮やかに描かれている。

中でも「花菖蒲」の絵には落款が押してある。

記述 2012.3 池松卓成
  
 <金村神社の田植祭の内容説明>

 1731(享保16)年の金田手永神社帳によると、正月15日の式次第が、「耕作の仕方、苗代表返、荒抓、田植の儀式を仕り、

苗に石菖を植え、この石菖の葉にて米青くして村中に分ける」 とあり、この頃から、奉祭は現在の形に近くなったと推察され約300年の歴史がある。

田植祭は、毎年3月15日(昔は2月15日)に、上糸田・中糸田・下糸田の糸田地区全体の、その年の豊作を祈る春祭りとして金村神社で行われる。

参列者は金村神社及び他2神社の神社総代や世話役・田植行事・田植舞の出演者である。

15日早朝、泌泉(たぎり)の水祖宮(小さな祠)に神主、神社総代、世話役が集まって参拝し泌泉(たぎり)から清水を汲みだす。

その清水は、直ちに金村神社に運ばれ、午後の神事の神饌に上げられる。

金村神社境内には、社殿正面に一間半四方に杭が打たれ、榊を結びつけ注連縄を張って「田」とする。

一方、金村神社拝殿では、前日刈り取った石菖(せきしょう)を小さな束にして多数準備される。

また、お染米(おせんまい)も小さな袋に小分けされ多数準備される。

お染米(おせんまい)とは、お米をそのまま石菖の汁で緑色に色付けしたものである。

この二つは、午後1時ごろになると社務所が開けられ、そこでお札を買った人に配られる。

石菖は、田の隅に挿して豊作を祈り、軒先にも挿して無病息災を願う。また、

お染米(おせんまい)は、15日の夕ご飯に少し混ぜて炊いて食べると病気にかからないという。昔は牛馬にも食べさせたという。

午後2時ごろより社殿で神官が五穀豊穣の祝詞を奏上し祭典が行われる。

神饌(神様のお食事)上げ、下げの儀式は、かなり本格的である。祭典が終わるとすぐに直会(神様の食事をいただく)が始まる。

社務所の奥では、田植祭の演技者男性5人が衣装や化粧などの準備を行い、女房役のオカツ以外は祭典と直会に参加する。

田植祭の演技者については次の通りである。

ムクデ:一家の主人で主役を演じる。田植え唄を歌う(現在はテープ)。昔は上糸田の人が演じる習わしであったが、現在は自由。

女房:名はオカツ。臨月まじかい妊婦役。男性が演じる。昔は中糸田の人が演じる習わしであったが、現在は自由。

牛役(2名):ムクデに従って農作業をする。代掻きの時は牛の胴に入って演技する。昔は下糸田の人が演じる習わしであったが、現在は自由。

牛使い:ムクデに従って農作業をする。代掻きの時は牛を使う。昔は上糸田の人が演じる習わしであったが、現在は自由。

田植祭の演技者の服装ついては次の通りである。

ムクデ、牛役、牛使いの服装は同じ。

紺色地に背中に神紋として白で金と書きその外を○で囲み襟は紺と白の横縞に染めたハッピと紺色の股引。紺と白の横縞に染めた帯。

オカツは赤の着物、長襦袢、腰巻、帯、たすき、白足袋、豆絞りの手ぬぐい。

田植祭の用具ついては次の通りである。

牛の張り子の頭、牛の胴体の黒色布、鞍、木製模造品のモウガ、木製模造品の鎌一丁、木製模造品の鍬四丁、天秤棒一本、しょうけ一個、石菖の束。


午後3時半ごろ直会が終わると模擬農耕行事となる。

田植えまでの演技は、草刈り・溝さらえ・畦ぬり・身持ち女の昼まもち・牛を使っての代掻きの順で行われる。

草刈り・溝さらえの時には、ムクデがハチに刺され、牛使いが自分の歯くそを塗りつける。

身持ち女の昼まもちでは、厚化粧して臨月腹のオカツが鼻の両穴に綿(鼻汁を示す)であごの下まで垂らして出てくる。

小便をして手鼻をかんで鼻に見立てた2本の綿をまき散らすなど所作に笑いが起こる。

牛を使っての代掻きでは、鞍を外され自由になった牛が、露店がならぶ参道を走り抜けたり、子供達を追いかけて境内いっぱいに暴れまわる。

牛の勢いが良いほどこの年は豊作だと言われる。

その後、小学生女児による田植舞が奉納され、明治天皇の御製にあわせて踊る。

御田植祭の歴史は数百年とされるが、田植舞の方はもともと早良郡脇山村(現在の福岡市早良区)にあった田植舞を、

昭和3年に糸田小学校の生徒が体育の教材として習ったもので、翌4年の御田植祭で女子生徒によって奉納され、以後毎年恒例行事となった。

最後に牛役の一人が石菖をくくりつけた天秤棒を担いで拝殿から境内に下り、オカツ以外の4人が石菖を苗とみたてて田植えを行う。

以前はムクデが田植え唄を歌い、それに合わせて田植えをしたが継承者の死去により、現在は録音テープで流している。

最後にムクデが「おかげで田植えもできた。今年は豊年万作じゃ」と言って終わる。

苗代わりに捲かれた境内の石菖は、参観者によってすぐに拾われ持ち帰えられる。


<田植え唄の歌詞>

最後に演じられる田植えの所作の時に歌われる。歌の伝承者が亡くなり、現在は録音テープで公開されている。楽器の伴奏はない。

♪1;あーら めでたよな ソライ ソライ 今年の稲は 八穂で八石 エレ 九石になれば ヨンホ ホンホウヤ ヨンホ 殿の世ざかり

♪2;オカツは 身持ちげな ソライ ソライ 顔そごそごと エレ そごそごと ヨンホ ホンホウヤ ヨンホ こいちやほしそに

♪3;此処は 道ばたげな ソライ ソライ 良いように植えて エレ 良いように植えて ヨンホ ホンホウヤ ヨンホ 殿にほめさしよ

<田植舞の歌>

明治天皇の御製に節をつけて成人女性3~4人で歌うもので楽器の伴奏はない。

♪ 早苗とる 賤が菅笠 いにしえの 手振りおぼえて なつかしきかな



田植祭保存会の資料より転記