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<無形民俗文化財公開情報>
<名 称> 花火動乱蜂(はなびどうらんばち)
<種 別> 福岡県指定無形民俗文化財
<公 開 日> 毎年9月15日(雨天順延)
<公開場所> 王子若宮八幡宮(福岡県久留米市山川町569)境内の王子池
<時 間>19:30~ 仕掛け 七色の虹
19:35~ 仕掛け ピカチュー
19:40~ 仕掛け 大富士の峰
19:45~ 仕掛け 火の輪と金魚
19:50~ 仕掛け ナイヤガラの滝
19:55~ 仕掛け 子供動乱蜂
20:10~ 仕掛け 福岡県指定無形民俗文化財 花火動乱蜂
(以上は、2010年の実施時間である)
<駐 車 場> 神社の駐車場は公用車用で駐車不能。一般車両は、山川小学校に臨時駐車場がある。
<ト イ レ> 神社に仮設トイレあり
<問合せ先> 久留米市文化観光部文化財保護課 TEL 0942-30-9225
(注意)公開場所や日時は保存会の都合で変更になる場合があります |
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<NIA取材記>
花火動乱蜂は、2010年8月25日の協賛金を市内各所に集めて回る様子、
9月5日の前年度の蜂の巣の取り壊しと焼却の様子、
9月12日の竹切りと蜂の巣制作の様子、
9月15日の火薬仕掛けの様子と動乱蜂の本番撮影、
10月3日の古川家の取材等、数回 現地を訪問して撮影した。
保存会をはじめとする地域の皆さんの総出(200人ほど)で、会場の草刈などが行われる様を見て、
地域の「動乱蜂」に対する意気込みの高さに敬服した。
会場の高台にそそり立つ「蜂の巣」は、竹を材料に作られる。
支柱になる竹と、輪を 作る竹は異なる種類の竹だそうである。
輪を作るのは肉厚が薄い竹で、一本一本六つに裂かれる。
この裂かれた竹で直径が異なる六つの輪が作られる。
この輪を竹の支柱に等間隔に取り付け、中央が膨らむ小槌状にする。
この巣に大蜂、小蜂が入った火薬の筒を本番日の早朝から保存会の手で取り付けていく。
取り付けは、火薬業者ではなく、保存会の火薬取扱い資格を持った 10人ほどの人たちの手でなされる。
さて、「動乱蜂」であるが4500個ほどの蜂が20秒ほどの時間に炸裂する様子は圧巻である。
夏の夜空を賑わす、あの花火大会の 花火とは全く異なる。すさまじい轟音と光の乱舞である。
本番当日の午後2時ごろから、王子若宮八幡宮の前で神事が行われ、
直径2cmほどの蜂10個ほどに点火される。
10mほでの所 で撮影したのであるが、その大音響と、あとから来る爆風でよろめいてしまった。
ましては本番の「蜂の巣」の真近ならば、吹き飛んでし まうであろう。
ある古老が語ってくれた。昔、「蜂の巣」付近にその古老たちがいたのに導火線に火がつけられた。
全員地面に身を伏 せて死をも覚悟したのに、火が途中で止るという不思議なことが起きて助かったという。
ただ偶然とではすませられない神力を体感し たそうである。
2010年11月 池松 卓成 記す |
<花火動乱蜂の内容説明>
動乱蜂は、旧三井郡山川村本村(阿志岐村)王子山若宮八幡宮の神事として古来から承継され、
毎年旧八月十五日(現在は新暦 九月十五日)王子山頂に於いて悪魔退散、五穀豊穣の祈願として打ち揚げ実施されてきた。
その源は遠く江戸時代に遡ると伝え 当初は爆薬の光と音に神秘を感じた住民の素朴な祈りとして、小規模に行われて来たものであって、
今日の花火のような色や形のき れいさとはほど遠く、住民は筵を被って逃げ回ったという。
その後、慶安年間(1648年)有馬藩砲術指南役、初代古川安太夫元純が 余技として花火の改良を行ってより、
古川家が花火製造の家元として代々秘法を伝え、
更に天保年間(1830年)に至り、古川辰之進が砲術の火薬製造よりヒントを得て
花火動乱蜂の改良された製法やその他、数多くの花火の製法を住民に広く教えられた結果、
本村住民は、その製法を会得し、近隣に比するなき花火師の村として有名になった。
古川家十代当主であった古川新一郎氏の時、花火製造中に不幸にして爆発を起こし文献も多数消失してしまった。
古川家所蔵 「花火動乱蜂」より抜粋転記
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